日本で最も大きい湖琵琶湖。
琵琶湖のことを「近畿の水がめ」ということがあります。
義務教育の教科書などにも、「近畿の水がめ」という言葉が出てくることがありますので、聞いたことがあるという方も少なくないことでしょう。
しかし、滋賀県民の当サイト管理人からすると、「近畿の水がめ」という言葉を見聞きするや否や、少し違和感を感じます。
確かに、琵琶湖は「近畿の水がめ」で間違いがないのですが、、、、「近畿の水がめ」という言葉だけが一人歩きしている気がするのです。
琵琶湖の下流に住んでいる京都や大阪の人からすると、「近畿の水がめ」で十分でしょう。
しかし、琵琶湖と触れ合いながら育ってきた私からすると、琵琶湖を「近畿の水がめ」という言葉で片付けられたくはありません。
詳しく見ていきましょう。
「近畿の水がめ」とは
まずは、「水がめ」の意味について説明をいたします。
手元にある国語辞典によりますと、「水がめ」は「水を入れておく、かめ」と説明されていました。
「かめ」は「瓶」と書きますので、換言すると、「水のため場」という意味になるでしょう。
これを踏まえて、なぜ、琵琶湖は「近畿の水がめ」(即ち、近畿の水のため場)と言われるのか、説明します。
それは、近畿地方に住む多くの人々が琵琶湖の水に依存しているからです。
なんと、近畿地方の1400万人の人々が琵琶湖の水に依存しているのです(近畿の人口は2000万人強)。
例えば、(一部の山間部を除く)京都市の水道のほぼ100%は琵琶湖の水です。
大阪についても、多くの地域は琵琶湖の水に依存しています。
さらに、神戸市の水道もなんと、75%が琵琶湖(淀川水系)の水です。
したがって、
下流の方々からすると、琵琶湖は、あくまで水のため場なのです。琵琶湖の水は、生活用水であるだけなのです。それ故、琵琶湖が「近畿の水がめ」と言われるのです。
京都や大阪といった琵琶湖の下流に住む人にとっては、琵琶湖は「近畿の水がめ」であるという説明だけで、十分に事足りてしまうといえるでしょう。
滋賀県民からすると不適切な言葉
「近畿の水がめ」という言葉は、下流に住む人々の価値観の塊と言ってよいと思います。
確かに、滋賀県の中には、琵琶湖の水を飲料水や農業用水などとして利用しているところがあります(全ての地域ではなく、琵琶湖へと流れていく河川から取水している場所も少なくありません)。
しかしながら、滋賀県民にとって琵琶湖は、単なる「近畿の水がめ」とは考えていません。
というのも、琵琶湖は、滋賀県における、豊かな文化や生活、風土を生み出した賜物であるといえるからです。
例えば、
- 滋賀県民は琵琶湖の魚を食べますし
- 琵琶湖は、ある種の心の拠り所にもなっています
琵琶湖を単なる「近畿の水がめ」と片付けられないほど、滋賀県民と琵琶湖とのかかわりは密接なのです。
上記の2つの例について、少し見ていきましょう。
琵琶湖の魚を食べます
もちろん、滋賀県民は琵琶湖の水を飲みますが、実は、琵琶湖の魚も食べます(滋賀出身ではない人は、琵琶湖の近くに住んでいても、あまり食べないようですが・・・)。
琵琶湖には、ブルーギルやブラックバスしかいないのではないかと思われる方、それは大きな間違いです。
琵琶湖には、(在来種を含む)食べるとおいしい魚が数多く住んでいます。例えば、上の写真は、「ハス」という魚です。私も、何度も食べたことがあるのですが、淡白で非常においしい魚です。
とりわけ、滋賀県北部では、スーパーマーケットで、琵琶湖の魚が取り扱われていることも少なくありません。
また、我が家では、ハス以外にも、コアユ、ワカサギ、ホンモロコがたびたび食卓に並びます(多くはおすそ分けでいただくものですが…)。
スジエビと豆などを煮こんで、「エビ豆」という料理も、時々、食べます。
その他、有名どころでいうと、二ゴロブナ(鮒ずしの原料)やビワマス、セタシジミも美味です(これらは、私も時々しか食べない…)。
このように、琵琶湖の魚を食べる滋賀県民は、少なくないでしょう。
琵琶湖は、滋賀県に置いて豊かな食文化を育み、滋賀県民の腹を潤しているといえるでしょう。
県民の心の拠り所は琵琶湖
滋賀県民の心の拠り所は琵琶湖と言ってよいでしょう。
例えば、滋賀県では、7月1日が「びわ湖の日」とされていますが、7/1当日、もしくは、その前後には、多くの人が、琵琶湖の美しさを維持すべく清掃を行います。
もちろん、琵琶湖から遠い地域の方も、清掃を行います。なぜなら滋賀県土においては山→川→琵琶湖とつながっているからです。
最終的には、琵琶湖に行きつくからです。琵琶湖の美しさを守るべく、滋賀県民は行動しています。
さらに、滋賀県の子供たちは、小学4・5年生の時に、琵琶湖について詳しく学びます。
とりわけ、小学校5年生の時は、びわ湖フローティングスクールというイベントがあり、1泊2日で琵琶湖について勉強することになっています。
こうした子供時代の記憶は、大人になっても消え失せることはないでしょう。
滋賀県民にとって、琵琶湖は心の拠り所であるということが、具体例を通じてよく分かったと思います。
「びわ湖の日」の歴史は、高度成長期の環境問題に端を発します。県民が琵琶湖を美しくしたいという気持ちが、「びわ湖の日」の制定につながっているのです。
関連記事:「びわ湖の日(7/1)の由来・歴史とは?単なる清掃の日ではありません」(内部リンク)
いかがでしたか。これ以上、具体例を出してもきりがなくなるため、この辺にしておきます。
滋賀県民にとって、琵琶湖は単なる「水のため場」ではないということが分かったと思います。
「近畿の水がめ」という言葉は、違和感を感じざるを得ません。
「近畿の水がめ」という表現を改めよう
「近畿の水がめ」という表現は不適当であるため使うべきではありません。「近畿の水がめ」はやめにしましょう。
その代わりに、「Mother Lake」(マザーレイク)という言葉を使うと良いかと思います。「母なる湖」という意味です。
先ほど、琵琶湖は、滋賀県において豊かな文化を育んだということを述べましたが、「Mother Lake」という表現は、ぴったりではないでしょうか。
また、下流の人たちに供給している水を生み出しているという解釈もできます。
「近畿の水がめ」という言葉がたびたび聞かれる理由として、滋賀県民と下流の方々の間で、琵琶湖に対する認識において乖離があることが挙げられます。
下流の方々におきましては、ぜひとも、琵琶湖に対する理解を深めていただきたいと思っております。