こんにちは。草津から栗東にかけての旧東海道を自転車で走っていたら、栗東に入ったところに、史跡・老牛馬養生所阯なるものを発見しました。非常に興味深い史跡でしたので、今回、史跡・老牛馬養生所阯について紹介します。ところで、栗東といえば、栗東トレセンです。史跡・老牛馬養生所阯と栗東トレセンの関係についても調べてみました。
老牛馬養生所阯とは何か
史跡・老牛馬養生所阯の外観は上の写真のとおりです。栗東市小柿に位置します。かなり小規模で、誰もが見逃してしまいそうな感じですね。横には、民家が建っています。老牛馬養生所阯は、どういうものなのか。説明板を読んでみましょう。
おそらく、上の写真で説明板を読むことができると思いますが、念のため、書かれていることを引用する形で下に記します。
史蹟老牛馬養生所阯
栗太郡志等に「この施設は和邇村榎の庄屋岸岡長右衛門が湖西和邇村の牛上で老廃牛馬の打ちはぎをしている様子を見て、その残酷さに驚き、これから老牛馬であっても息のある間は内はぎすることを止めるようと呼びかけ、天保十二年四月当地が東海、中山両道を集約する草津宿近くであることから、ここに老牛馬の余生を静かに過ごさせる養生場を設立、県下の老牛馬を広く収容された」と記されている。
治田学区心をつなぐふるさと創生事業実行委員会
つまり、不要な牛馬が殺処分する様子を見かねた庄屋さんが、老牛馬が余生を過ごせる場所をつくったということです。今や、民家となっている場所も、かねては、老牛馬養生所だったのですね。
ここで、上の説明を少し補足説明します。まずは、和邇という場所はどこなのかという点です。下に、ごく簡単な地図を用意いたしました。
和邇(わに)という地名は、現在も残っています。和邇は、上の地図のとおり、大津市北部に位置します。旧志賀町の中心地でした。
栗太郡は、かつての地名です。栗東は、読んで字のごとく、栗太郡の東に位置していたということになります。
天保12年は1841年です。
草津宿は、中山道と東海道の合流点(分岐点)です。交通の要所として栄えましたし、今も、栄えています。史跡老牛馬養生所阯は、現在、一応、栗東市に位置しますが、草津宿はかなり近いです。
栗東トレセンとの関連性はないようだ
さて、栗東といえば、トレセンですね。JRAが競走馬を育成する施設です。
一方で、老牛馬養生所も、馬関係の施設でした。栗東トレセンと老牛馬養生所は、ともに、馬を擁している(擁していた)ということが共通点です。では、両者は関係があるのでしょうか。
結論から言うと、関係はないとみられます。
栗東市は、「馬のまち」と謳っています。その所以は、老牛馬養生所阯があるからではなく、栗東トレセンがあるからです。「馬のまち」の馬は、競走馬を指します。
せっかくなので、「馬のまち」と関連付けて老牛馬養生所があったことについても、もっとPRしても良い気がするのですが…。
アクセス
上の地図のとおり、史跡老牛馬養生所阯は、旧東海道において、栗東市に入ってすぐの場所にあります。最寄り駅は草津駅です。草津駅から徒歩20分程度です。なお、車での訪問は不可能です(史跡が住宅街の一角にあるため)。
最後に:動物の命を大切にいただこう
現在、私たちは、肉を食用としています。それらの肉は、食肉処理場で屠畜された豚や牛、鶏であることは言うまでもないでしょう。屠畜をされる牛や豚、鶏の様子を見たことがない方がほとんどだと思いますが、牛馬を打ちはぎするのと同じくらい残酷だと思います(『牛を屠る』という本を読んでみてください)。
私たちは、こうした、食肉の裏側を知らずに、肉を食べています。「ベジタリアンになりなさい」とは決して言いませんがー私もベジタリアンではありませんー、せめて、私たちは、屠畜をされた豚や牛、鶏を食べているということを意識しておきましょう。