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【戦争遺跡】米原にある岩脇蒸気機関車避難壕の中を見学

東側岩脇蒸気機関車避難壕の北側入り口

滋賀県米原市にある戦争遺跡・岩脇蒸気機関車避難壕に行ってきました。アメリカ軍の空爆から蒸気機関車を守るためにつくられました。米原駅といえば、北陸線と東海道線が分岐・合流する場所です。戦時中も、米原駅はこのような意味で重要な場所でした。それゆえに、岩脇という場所に蒸気機関車避難壕がつくられたのです。ただ、実は、この避難壕、一度も使われることがありませんでした。

米原市岩脇は歴史ある場所

米原市岩脇の地図

まず、岩脇と書いて、読み方は「いおぎ」です。その他にも、読み方があるようですが、ここでは、最も一般的で現代的な読み方を記しておきました。

米原市岩脇には、岩脇山を中心に、様々な史跡などがあります。当記事は、岩脇蒸気機関車避難壕を紹介するためのものであるため、全てを紹介はいたしません。ただ、個人的に、最も魅了されたものを、以下、簡単に記したいと思います。

岩屋善光堂

岩脇山の東側に面白い構造の建物がつくられています。その名も、岩屋善光堂(上の写真)。京都の清水寺や大津の太神山不動寺と同じ、舞台造の建物です。

「善光」という文字が入っていますが、お察しの通り、長野県の善光寺と関係があるのです。

善光寺の名の由来となった、本田善光という人物が、難波から三尊像を故郷・長野に持ち帰ろうとしていました。その際、岩脇で休憩・仮眠をとったのです。

仮眠をとったとき、彼は夢を見て、三尊像を岩脇という地にまつるようお告げを受けたのです。それゆえ、三尊像の分身をこの地にまつり、祠をつくったのです。その祠が、のちに、岩屋善光堂となるのです。

それゆえ、岩屋善光堂は、善光寺の分身であり、様々なご利益をもたらすということなのです。


少し、話がそれました。それでは、岩脇蒸気機関車避難壕の紹介にうつります。

避難壕は2つある

岩脇蒸気機関車避難壕には、東側、西側と2つの避難壕があります。2つの避難壕ともに、スコップやツルハシ、弾薬を使って、手掘りで掘られました。中に入ると、その様子がよくわかります。

では、2つの避難壕、それぞれの特徴を述べてまいります。

貫通している東側避難壕

岩脇蒸気機関車避難壕の東側避難壕

避難壕へは北側から入ることができます。上の画像は、北側から撮影した東側の避難壕です。画像では大変わかりにくいですが、向こう側(南側)の明かりを見ることができます。したがって、東側の避難壕は貫通しているのです。

北側から入って真ん中付近までは、水没していますので、木の板の上を歩いていきます。天井が低くなっているので、気を付けながら進みましょう。また、内部は非常の涼しくなっています。

岩脇蒸気機関車避難壕の東側避難壕の中

上の画像は壁に焦点を当てて撮ったものです。ゴツゴツと岩がつきだしていることがわかります。避難壕は手掘りで掘られたのですが、そのことがよくわかります。

岩脇蒸気機関車避難壕の東側避難壕の南側

上の画像は、東側避難壕の南側から撮影したものです。南側からは立入禁止なのです。それゆえ、貫通はしているものの、南側の端っこまで100m以上歩いたら、入り口のある北側へ引き返す必要があります。

岩脇蒸気機関車避難壕の東側避難壕の南側
内部より撮影

未完成の西側避難壕

岩脇蒸気機関車避難壕の西側避難壕の北側
西側避難壕・北側入り口

今度は、岩脇蒸気機関車避難壕の西側避難壕へと行きます。東側避難壕と隣接しています。東側・西側と2つの避難壕をつくったということは、2台の蒸気機関車を同時に収容するという意図があったのでしょう。

中に入っていきます。

岩脇蒸気機関車避難壕の西側避難壕の北側内部
西側避難壕・北側内部

入った途端、水没していましたので、奥に進むことはできませんでした。そして、上の写真を見るとわかりますが、反対側・南側の明かりを確認することができません。すなわち、西側避難壕は、未完成なのです。未完成のまま、戦争が終わってしまったということになります。

南側からも見てみます。

岩脇蒸気機関車避難壕の西側避難壕南側
西側避難壕・南側

西側避難壕の南側です。東側避難壕同様、南側からは進入できませんでした。上の写真は、立入禁止看板が貼られていた柵の間にカメラを入れて撮影しています。やはり、こちらからも反対側は見えません。

2つとも一度も使われなかった

岩脇山

岩脇蒸気機関車避難壕の東側避難壕は貫通している一方で、西側避難壕は貫通しておらず未完成であるということを述べてきました。

しかし、2つの避難壕とも、実は、使われることがなかったのです。使われることがなく終戦を迎えたのです。

では、仮に、岩脇蒸気機関車避難壕が戦時中に完成していたら、どのように運用されることになったのでしょうか。古い航空写真を見ていると、北陸線の米原-坂田間に岩脇山へと向かう線路があることを確認しました。おそらく、その線路を利用して、岩脇蒸気機関車避難壕に蒸気機関車を入れるということを意図していたのではないかと推測します。

岩脇蒸気機関車避難壕資料館

避難壕の南側(もしくは岩屋善光堂)近くには、資料館があります。小規模で無人の資料館ですが、岩脇蒸気機関車避難壕の歴史を学べます。また、戦争遺跡として岩脇蒸気機関車避難壕を整備している過程も知ることができました(終戦後は、長らく、ゴミ捨て場として利用されていたらしい)。

岩脇蒸気機関車避難壕

最後に

岩脇蒸気機関車避難壕へは、米原駅または坂田駅から徒歩でアクセスするのがおすすめです。

岩脇山周辺を歩いて駐車場の場所も確認したのですが、駐車場らしき場所はありませんでした。ただ、避難壕の北側入り口近くに、公民館がありましたので、そちらのスペースに車をとめることは可能かもしれません(確認してください)。

岩脇山山頂
岩脇山山頂

戦争遺跡として整備された岩脇蒸気機関車避難壕、大変面白い場所でした。鉄道が好きという方、また、その他の皆様も、ぜひ、訪れてみてください。

  • この記事を書いた人

undecided

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