滋賀県で最も低い山といわれている大日山(だいにちやま)に登ってきました。標高は129mです。琵琶湖から続く瀬田川のすぐ近く(大津市)に位置するのですが、かつては、そのせいで、洪水の原因となった山でもありました。そうした歴史も含めて、登山の様子をリポートします。
大日山の基本情報
まずは、大日山(だいにちやま)の基本情報を簡単にまとめておきます。
大日山の標高は129m(地形図に書かれている標高です)。滋賀県で最も低い山といわれています。
日和山や天保山などと比べるとずっと高い山ですが、滋賀県の標高は大阪城のてっぺんの高さと同じくらいといわれていますので、決して驚くことではありません。
大日山の場所は、上の地図に示したとおりです。滋賀県大津市、琵琶湖から続く瀬田川左岸にあります。
大日山に登る!
では、大日山の山頂へと向かいます。大日山へは、舗装された道路をしばらく行きます。
ちなみに、左にも道がありますが、龍神崎観音堂があります。こちらからも大日山方面へと行けるようですが、ここでは一般的なルートを紹介します。
周りには住宅があります。しばらく行くと、突き当りに出ますので、突き当りを左に進みましょう。
突き当りを左に行ってすぐの場所に、「右 大日之寺道」という道標がありました。大正時代に設置されたようです。
大日山は右に曲がらず直進となりますが、少し寄り道をして、右に曲がります。
少し進むと、正法禅寺という寺がありました。道標の「寺道」と書かれている所以は、この寺があるからということになります。
元の道に戻り、少し急な坂を上るなどすると、大日山の入口が見えてきます。
大日山の入口です。お地蔵さんがあります。
山に入るところには、「三尾山大日堂」と刻まれていました。三尾山は、大日山の別名でしょうか。
私が訪れたときは、二尾山と書いているように見えてしまいました。三の真ん中の線が消えかかっていました。帰宅後調べると、三尾山であることがわかりました。
しばらく舗装がなされています。しばらく進んでいきます。
しばらく歩きますと、階段がありました。のぼっていきます。
のぼりきると、お堂が見えてきました。これが、山の入口の案内にあった、大日堂です。
注目したいのが、上の写真の右側に鳥居があるということです。
鳥居をくぐり、少し急な勾配を進むと、祠がありました。
周りを見渡してもこれ以上高い場所はありませんでしたので、おそらく、このあたりが大日山の頂上であると思われます。
大日山は洪水の原因となった
実は、この大日山、かつては、付近における洪水の原因となっていました。
というのも、大日山は現在よりも瀬田川にせり出していて、大日山があるところだけ川幅が狭くなっていたからです。
大日山が洪水の原因となっていることは、奈良時代から問題になっていたといわれています。
実は、奈良時代に、かの有名な僧である行基が大日山を訪れています。
行基は、大日山が洪水の原因となっていることから、山を削ろうとしたのです。
しかし、熟考の結果、下流の洪水リスクが極めて高くなることから、山を削ることは断念されました。
むしろ行基は、山を削ると祟りにあうという言い伝えを残しました。
それ以降、山が削られることはありませんでした。
しかし、転機が訪れます。明治29年の大洪水です。明治29年の大洪水の被害の大きさから、さすがに、瀬田川の治水対策をしないとまずいということになり、山が削られたのです。
今も山が削られた跡が残っています。ダイナマイトを使って、山が削られたようです。相当の難工事であったといわれています。
同時に南郷洗堰も完成し、琵琶湖から下流へ放流する水量を調整できるようになりました。
最後に
奈良時代に行基によって山を削ることが実現せずに、そのまま、明治時代になってようやく山が削られるということがなされたことには驚きでした。
こうした深い歴史がある大日山。標高129mで、滋賀県で最も低い山です。登りやすい山ですので、ぜひ、一度、登ってみてください。
なお、大日山には展望台があります。今回は訪問しなかったのですが、そちらも併せて訪問されるとよいでしょう。