鉄道記念物・旧逢坂山トンネル(東口)へ行ってきた

旧逢坂山隧道の看板

大津市には、鉄道史において非常に重要な遺産があります。その名も、旧逢坂山隧道(トンネル)。なんと、旧逢坂山隧道は、日本人のみで初めて採掘されたトンネルで、鉄道記念物に指定されています。現在は、旧逢坂山隧道の東口の一部を見学できますので、実際に行ってまいりました。

旧逢坂山隧道とは

旧逢坂山隧道について説明する前に、前提となる知識を簡単に述べておきます。その後、同隧道の歴史や重要性等を説明します。

旧東海道線

新逢坂山トンネル
新逢坂山トンネル、上は京阪京津線

京都から大津にかけては、今の東海道線とルートが大きく異なっていました。今の東海道線(新東海道線)は、京都から東山を抜け山科へ、山科から新逢坂山トンネルを抜け大津へ、ほぼ一直線です(山科大カーブなどがあるが、地図を見るとほぼ一直線)。

一方、旧東海道線は京都から稲荷を経由し山科・大津へ結ばれていました。したがって、今とは異なり、京都からは大きく蛇行するルートをとっていたのです。というのも、地質不良により東山を当時の技術で採掘するのは不可能だったからです。しかし、山科駅(当時は地下鉄東西線小野駅付近)の次の大谷駅と大津駅(当時は浜大津付近に立地)の間には、逢坂山が立ちはだかります。ここはトンネルを掘らざるを得なく旧逢坂山隧道(全長664.8m)ができたのです。そして、大谷駅と大津駅間がつながったわけなのです。

わが国初の山岳ずい道=旧逢坂山隧道

旧逢坂山隧道東口内部

現地の案内板には次のように書かれていました。

このずい道は、日本人の技術者、技能者が主体となって設計・施工をおこなったわが国初の山岳ずい道です。

これまでは、イギリス人が鉄道敷設を指導していました。


東口の採掘がはじまったのが1878年年10月5日、隧道が完成したのが1880年6月28日です。そして、1921年8月1日に新東海道線が完成するまで使われていました。案内板によると、生野銀山の労働者がノミやツルハシなどで手彫りで掘ったとされています。上の写真を見てよくわかると思いますが、手彫りにもかかわらずきれいなトンネルの形をしています。当時の技術力に驚かされました。

さらに、案内板にはこのようにも記されていました。

こうして完成した逢坂山ずい道は、鉄道の歴史に残る記念すべきもので、日本の技術史の上でも大きな意義をもつものです。

鉄道記念物・近代化産業遺産

近代化産業遺産の案内板

上記の通り、旧逢坂山隧道は鉄道史において、非常に重要な遺産といえるでしょう。したがって、1960年、国鉄は旧逢坂山隧道を鉄道記念物に指定しました。

さらに、2009年2月、旧逢坂山隧道などが「山岳・海峡を克服し全国鉄道網形成に貢献したトンネル建設等の歩みを物語る近代化産業遺産群」として、近代化産業遺産に登録されてました(ちなみに、旧柳ケ瀬隧道も同じく近代産業遺産に登録されているトンネルです)。

旧逢坂山隧道は、非常に重要な遺産です。後世に伝えていかねばなりません。鉄道ファンの方は、ぜひ、京阪京津線に乗るなどして、旧逢坂山隧道東口訪れてみて下さい。もちろん、それ以外の方もぜひ!


なお、西口は名神高速道路の下に埋没してしまったため見られません。現場付近には記念碑があります。

当ブログ管理人は、上り坂をママチャリで登るのが面倒だったため、記念碑の写真撮影に行っていません。後日、通ったときに、写真撮影してきます。

アクセス等

旧逢坂山隧道は、逢坂山峠の琵琶湖側にあります。(追分・京都方面における)国道1号から県道558号に分岐して、すぐのところにあります。

旧逢坂山隧道入口

写真を示すと、以上のような場所です。右奥に見える道路が国道1号です。旧逢坂山トンネル東口への入り口は国道一号から県道558号に入ってすぐの場所にあります。矢印の通りに左折すると、旧逢坂山隧道東口へ行けます。左折後、道幅が非常に狭いので注意してください。この付近、下り坂でスピードが出やすい場所であるため、自動車で来られる方は見逃す可能性が高いです。ご注意を。

なお、駐車場らしきものは見当たりませんでしたが、隧道近くに車を停めるスペースはありました。