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義仲寺を訪問!木曽義仲、そして松尾芭蕉の墓所です。

2021年2月9日

義仲寺

滋賀県大津市にある国の史跡、義仲寺に行ってきました。義仲寺は、文字通り、木曽義仲の墓所です。また、実は、松尾芭蕉の墓所でもあります。周辺にはショッピングモールやマンション、幹線道路があり騒々しいのですが、義仲寺境内は静かで落ち着いた雰囲気でした。

義仲寺とは?

義仲寺の朝日堂
朝日堂(義仲寺本堂)ー義仲の木像等がある

義仲寺は、木曽義仲の墓所です。義仲寺の名は、義仲から来ています。寺ができたのは室町時代末、建立したのは佐々木六角であるという伝えがあるようです。

そして、松尾芭蕉の墓所でもあります。芭蕉は遺言で「骸は木曽塚に送るべし」と残していたのです。

境内には、芭蕉が読んだ句をはじめ、様々な句碑があります。

では、木曽義仲・松尾芭蕉と義仲寺の関係について、もう少し詳しく見てまいります。

ゆかりの人物①木曽義仲

木曽義仲の墓
義仲公墓(木曽塚)

義仲は、『平家物語』の「木曽の最期」にも描かれているとおり、1184年1月20日、粟津の戦いで死にます。粟津の松原で自害しようとしましたが、馬が深みにはまってしまい、首を取られてしまったのです(詳細は、下に示す別記事をご覧くださいませ)。そして、この地が義仲の墓となったのです(上の写真)。

その後、とある尼僧が、義仲の墓所近くに草庵を結んだことが、義仲寺のはじまりであるとされています。とある尼僧は、なんと、義仲の側室(妾)である巴御前の後身であると伝えられています。義仲公墓の隣に、巴御前の墓があります(下の写真)。

巴塚
巴塚

では、今井兼平の墓はどこにあるのか…、という疑問を抱かれる方もいらっしゃるかもしれません。ご安心ください。義仲寺にはありませんが、義仲寺からそう遠くない場所にあります。詳しくは、下の記事をご覧ください(この記事で粟津の戦いについてもう少し詳しく述べています)。

参考記事:「【滋賀県】粟津の戦いで自害した今井兼平の墓を訪れた」(内部リンク)

ゆかりの人物②松尾芭蕉

芭蕉翁墓
芭蕉翁墓

松尾芭蕉の墓もあるということを前述しました(上の写真)。実は、芭蕉が、「骸は木曽塚に送るべし」という遺言を残していました。それ故、1694年10月12日、芭蕉が大坂で亡くなった後、遺骸が義仲寺に運ばれてきて、芭蕉の墓が建てられたのです。意外に思われる方が多いのではないでしょうか。

芭蕉は、義仲にあこがれたが故に、この地に芭蕉の墓が設けられたと考えられています。

無名庵
無名庵ー奥の細道の旅の後、芭蕉が滞在

ところで、島崎又玄のこんな句が有名です(義仲寺に句碑があるのですが、写真を取り忘れました)。

木曽殿と 背中合せの 寒さかな

実は、無名庵に滞在している芭蕉を、又玄が訪ねた際に詠んだ句です。

※伊藤若冲ともゆかりがある

翁堂
翁堂

上の写真は、翁堂です。翁堂には、芭蕉の座像などがあります。

ここで注目したいのが、翁堂の天井です。天井には絵が描かれています。その絵は、なんと、伊藤若冲作だということなのです。寺務所の方に教えていただきました。直接見ることはかなわなかったのですが、花卉の図が描かれているようです。

翁堂前の池

翁堂の前には、池があるのですが、その池には、カメがいました。小さいカメも結構いました。寺務所の方によると、毎年冬眠をするとのことですが、冬眠中に一定数が死んでしまうようです。


その他にも、いくつかの見所があるのですが、本記事では有名どころのみを紹介することにしているので、ここでとどめておきます。

最後に、お手洗いは山門を入ってすぐ左側にあります。覚えておいて損はないでしょう。

義仲寺のお手洗い

アクセス

義仲寺は、滋賀県大津市の旧東海道沿いにあります。旧東海道を散歩される際に、ぜひ、訪れることをおすすめします。

電車で行かれる場合は、膳所駅(京阪膳所駅)下車後、徒歩10分ほどです。

なお、駐車場はありません。車で行かれる場合は、周辺の有料駐車場をご利用ください。義仲寺周辺の道路は道幅が狭いので路上駐車はしないようにお願いします。

義仲寺チケット

義仲寺の拝観は有料ですので、山門をくぐりましたら、寺務所で受付をしましょう。寺務所は、山門をくぐって、すぐ右にあります。大人の拝観料は150円です。お金を払ったら、ようやく、境内をめぐることができます。ぜひ、義仲寺を訪ねてみてください。

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未だ定まらざる

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